ベッセル楕円体

 測量法第11条の1では、日本の測量はベッセルが算出した楕円体を基準にするとしている。すなわち、三角点などの基準点の座標位置は、この楕円体面上で与えられている。

  ベッセル(F.W. BESSEL)は、1784年7月22日ウェストファリア王国ミンデン(現西独)に生まれた。14歳から数年間ブレーメンの貿易会社に勤めたが、その間に航海に興味をもち、天体観測を行い、天文や数学を勉強した。小惑星第2号パラス発見で名高いオルバースの推薦で、1806年リリエンタール天文台に入り、次いで1810年ケーニヒスベルク天文台に移り、1813年初代天文台長になって生涯を天文学に捧げ、1846年3月17日62歳で没した。  

 彼は実地天文学の祖とも呼ばれるほどの多くの優れた業績を残したが、1831年には東プロシアの三角測量に従事して、良い成果をあげた。この仕事の延長としてペルー、フランス、イギリス、ハノーバー、オランダ、プロシア、ロシア、スウェーデン、インド2本の緯度67°Nから10°Sにわたる計10本の経度帯の測量成果を整理して、地球の形と大きさの計算を試みた。  

 これが測量法が示す赤道半径6,377,397.155m、扁平度1/299.152813のベッセル楕円体(1841)である。その後しばらくの間ヨーロッパで、また1880年までアメリカで測量の基準に使われていた。人工衛星の宇宙測地技術に支えられた今日の正確な地球の形状に比較すると、ベッセル楕円体の地球は赤道半径が約740m短かすぎ、より球に近い形をしていた。

LinkIcon(社)日本測量協会発刊 月刊「測量」より抜粋