華氏と摂氏と烈氏

 アメリカへ行ってとまどうことの一つに華氏の気温がある。℃=(5/9)(°F−32)で摂氏に換算はできるが、32を引いて半分にして1割増しと暗算しているうちに天気予報が終わってしまう。半年も住んでいれば体が覚えてくれるから、どうでもよいことではあるが。

  華氏ことD. G.ファーレンハイトは、1686年ダンチヒ(現ポーランドのグダニスク)に生まれ、1736年アムステルダムで死んだ。当時のオランダはガラス器具の製造が盛んな所で、彼は主に気象器械の製造に従事したが、ガラス管に満たした水銀柱の高さで温度を比較することを考えた。そのための目盛りの基準に、最も低い寒冷をつくる氷と水と塩化アンモニウムの混合物の0°、水の氷点の32°、人間の体温の96°の3定点を用いた。これによると、純粋な水の沸点は212°となる。

 日本が明治期に採用した摂氏は、ウプサラの天文学者A.セルシウス(1701〜1744)の考案によるもので、水の氷点を0°、1気圧下の沸点を100°とし、その間を100等分している。科学史には列氏温度計も登場する。列氏とはフランス西部ラ・ロッシェル出身のL. A.ド・レオミュール(1683〜1757)のことで、パリでは民間学者として広い分野で活躍した。アルコールの体積が温度で変わることに目をつけて、一定濃度のアルコールを満たしたガラス管に、水の氷点0°とアルコールの沸点80°のときを目盛り、その間を80等分した。昔、基線尺の検定要領などに列氏の換算式R=(4/9)(F−32)がでていたが、それに使ったインバール基線尺も、インバールの発明でノーベル賞をもらったパリのギョームの労作である。

LinkIcon(社)日本測量協会発刊 月刊「測量」より抜粋